場の効用

以前に「家展」のところでも書いたのだが,実家の両親がU.S.にいる孫(三歳)とずっとiChat(Macテレビ会議ソフト)をしていた.かと言って,別にずっと喋っていたわけではなく,今日はパズルを延々とやっていた.

しかし,対話が必ずしもなくても,とにかく「場が繋がっている」ということが重要らしい.たとえば,突然私に「こまねこ(下記参照)歌って」と言い出すので,その場で適当にウクレレで伴奏しながら歌ってあげると「歌えるじゃない」とか言って,自分でも鼻歌を歌いながら作業している.また,時々画面の前を離れる時もあるのだが,「切らないでね!」と言って,急いで帰ってくる.しかも,さすがに数時間も繋いでいたために,終わろうとしたら,「バイバイしないのに」と言って泣き出してしまった.

ドラえもんの「どこでもドア」や「タイムマシン」のように物理的移動を可能とするためには,さらに技術的飛躍が必要になるが,「場を広げる」,「場を繋ぐ」という視点に立った技術なら,比較的すぐ実現できそうで,現代社会を大きく変えそうな気がする.もちろん,これはセッションのような概念を基本としたTV会議ソフトとは,大きく異なって見えるものだろう.